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東京地方裁判所 昭和33年(行)101号 判決

原告 都倉長市

被告 通商産業大臣

訴訟代理人 朝山崇 外三名

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

理由

本件特許発明は劣質原油を単独又は連続にて蒸溜する際、原油の種類に応じて蒸溜中その生成蒸気部に適当量のアンモニアガスアンモニア水、或は分解によつて容易にアンモニアガスを発生すべき物質又はその水溶液を刻々に加え蒸溜を行う劣質原油の蒸溜方法であつて、原油の加熱により生成した酸をアンモニヤにて中和し、酸による蒸溜塔の腐蝕を防止すると同時に製品の品質を向上せしめることを目的としたものである。

しかしながら本件特許発明のように蒸溜塔の腐蝕を防止するため蒸溜塔或は精溜塔にアンモニヤガスを吹込む方法は本件特許出願前国内において頒布された雑誌(A Gulf Publishing Company Publication Retiner and Natural Gasoline Manufacturer Vol. 14 No. 8, August 1935 P. 395)等に容易に実施することができる程度に記載されている。従つて本件特許は出願当時既に公知のものに属し、特許法第一条に規定する発明の新規性を欠くものと認められる。

上述せるところにより、本件特許発明は特許すべきでないものが誤つて特許されたものであつて、特許法施行令第一条に規定する重要なる発明に該当するものとは認められない。

二、しかしながら、本件特許は単に右処分理由にいうような蒸溜塔の腐蝕を防止するため蒸溜塔或は精溜塔にアンモニヤガスを吹込む方法ではない。本件特許発明の内容は劣質原油を蒸溜するに当り悪臭刺戟臭を発生すべき分解生成物(不安定物質)をアンモニヤの存在に於て安定物質と為し(重合生成物とする)、以て堪え難い悪臭刺戟臭を発生すべき物質を除去させて蒸溜中に於ける原油を安定化し、普通原油蒸溜の場合の程度に於て蒸溜を行はせることができるようにしたものである。従つて装置の腐蝕防止はむしろ従たる問題である。

本件決定が本件特許発明を単に原油の加熱により生成した酸を中和し、蒸溜塔の腐蝕を防止する方法に過ぎないものとしたことは、本件特許発明の一作用、しかも附随的効用にのみ着目してその全容を見失い、本件特許を誤解したものである。

三、更に、本件決定の理由に引用されている雑誌が本件特許出願前国内において頒布されていた事実はなく、右雑誌に本件特許にかかる方法が容易に実施することができる程度に記載されていないし、右雑誌以外に本件特許方法が容易に実施し得る程度に記載されている刊行物が本件特許出願前国内において頒布されていた事実もない。従つて、本件特許方法が出願当時公知のものに属していたことはなく、又新規性を欠いていたものでないから、右決定理由にいう如く、本件特許は特許すべきものでなかつたものが誤つて特許されたものであつて、特許法第一条に規定する重要な発明に該当しないものということはできないものである。

四、以上述べた如く、被告は本件決定をなすに当り、その前提たるべき事実の認定を誤り、その誤つて認定した事実に基いて決定をなしたものである。従つて、本件決定は違法なものというべきである。

なお、本件決定がいわゆる行政庁の自由裁量権の範囲に属する処分であるとしても、右の如く、誤つて認定した事実を前提として処分をなしたものであるから、これは裁量権の限度を逸脱したものであり違法なものというべきである。よつて本件決定の取消を求めるため本訴に及んだ。

被告指定代理人は主文同旨の判決を求め、請求原因に対する答弁並びに被告の主張として左の通り陳述した。

一、請求原因第一項記載の事実は認めるが、その余の事実は争う。

二、特許権存続期間延長の許否は、特許権者の保護を通じての発明の奨励と期間後これを公開して一般人の利用を可能にすることによる一般国民の利益の増進とを較量していづれに重点をおくのが国家の政策上適切であるかについての判断を下したうえでなされるいわゆる自由裁量処分である。そして本件処分に当つては何ら自由裁量権の濫用は存しないから、本件処分を違法というのは当らない。

三、本件処分は何ら違法でない。

即ち、本件決定に引用された雑誌は昭和十年九月十日日本石油株式会社鶴見製油所に、また同じ頃秋田鉱山専門学校図書館にそれぞれ受け入れられていた。従つて、右雑誌は本件特許出願の日たる昭和十五年七月十二日以前に国内に頒布されていたものである。右雑誌三九五頁には「腐蝕防止に対するアンモニヤ使用」と題して原油の蒸溜装置の腐蝕防止のためにバブルタワア(原油をガソリン、灯油等に分溜する塔)のフラッシュ、ポイント(加熱された原油がバブルタワアに導入され蒸発の起る部分)の上部にアンモニヤを導入することが図面を付して記載されている。

右方法と本件特許発明にかかる方法は、原油の生成蒸気部にアンモニヤを添加しながら蒸溜するという方法(蒸溜過程)において同一であり、その目的とする装置の腐蝕防止の点でも同一である。もつとも右雑誌には使用原油の種類について記載がないが、右腐蝕防止の目的からみて当然腐蝕性の強い劣質原油の処理をも目的としたものと認められる。そうして、このように原油の種類及び蒸溜方法において差がない以上、蒸溜の効果にも差異あるものとは考えられない。原告の強調する悪臭、刺戟臭の防止及び製品の品質改良等は右の方法に当然伴い生ずるものに過ぎない。

以上の通り、本件特許にかかる方法は、右雑誌に容易に実施し得る程度に記載され、特許出願当時既に国内において公知のものである。従つて、本件特許は発明の新規性を欠き、特許法施行令第一条にいわゆる重要な発明に当らないものであるから、これが特許権の存続期間延長願を許可しなかつた被告の処分は適法である。

原告訴訟代理人は被告の右主張に対し左の通り陳述した。

一、本件決定理由中に引用されている雑誌が日本石油株式会社、秋田鉱山専門学校に受入れられていた事実は知らない。仮に、そのような事実があつたとして、それを以て一般不特定人の為に公開されたものということはできず従つて頒布されていたものとはいえない。

二、右雑誌に記載の記事の方法は、蒸溜装置の熱交換器の上方にアンモニヤを導入し、此の箇所でアンモニヤを蒸気ラインの中に導入してPHを七・〇に保たせるようにすると共に、アンモニヤの導入量が過剰の場合にはアンモニヤの導入点をフラッシユポイントの上部のバッブルタワーに変えて、ランダウンタンクのアンモニヤの臭を実質上なくすようにしたことである。この記載における熱交換器の上方部分は底方よりも低温にして、不安定物質とアンモニヤとの接触が困難な場所であるが、アンモニヤを蒸溜装置の熱交換器の上方に導入することは、原油中の酸をアンモニヤで中和して蒸溜中の蒸溜装置の腐蝕防止を行わせることはできても、不安定物質のアンモニヤによる反応によつて安定重合生成化合物を生じさせることはできないものである。それ故、右記載の記事からは、アンモニヤを熱交換器の上方に導入して酸の中和を行わせることがわかるだけで、その導入状態ははつきりしない。又、原油中に含まれる不安定物質をアンモニヤと化合させて、悪臭刺戟臭を発生しない含窒素、含硫黄等の重合生成化合物を作つて、この種の原油の蒸溜操作を可能有効ならしめると共に良質の製品を得しめる作用効果を捕捉し理解することはできない。

三、そこで、本件特許による方法と右雑誌記事による方法とを比較すると、その目的において、原油蒸溜に際して生成する酸をアンモニヤにて中和して蒸溜装置の酸化腐蝕を防止しようとする点に於て両者は一致しているが、本件特許の方法においては劣質原油の蒸溜に際し、原油中に含有する不安定物質の分解によつて生成する酸類にアンモニヤを作用させて含窒素、含硫黄の重合生成化合物を作つて安定物質と為し、悪臭刺戟臭を除き蒸溜を可能有効にすると共に、良質の製品を容易に得させることを目的としているに反し、右雑誌記載の方法においてはこれらの点は全く期待していない。

次に両者の方法を対比すると、本件特許による方法においては、原油蒸溜の際の生成蒸気の生成箇所(連続蒸溜の場合には熱交換器に相当の加熱が行われて酸の発生が始まつている場所、又はその他の場合においては管状加熱炉の出入口附近、蒸発塔底部或は精溜塔底部)にアンモニヤを発生すべき物質を原油の使用量に応じて常に一定量づゝ刻々導入するものである。これに対し、右雑誌の記載の方法は蒸溜装置の熱交換器の上方にアンモニヤを蒸気ラインに導入してPHを七・〇に保たせるようにし、アンモニヤの導入量が過剰の場合にはその導入点をフラッシュポイントの上部のバッブルタワーに変えてランダウンタンクのアンモニヤ臭をなくするようにするものである。

以上の通り、本件特許による方法と右雑誌記載の方法とは、その目的、技術内容、処理方法において異るもので、この両者を同一のものとなした被告の認定は誤りである。

証拠〈省略〉

理由

一、原告が特許第一五九〇五二号「劣質原油の蒸溜方法」の特許権者であつたこと、右特許の存続期限は昭和三十三年一月三十日であり、原告が同三十二年七月十九日付にて被告に対し右特許権存続期間延長を願出たが、被告は同三十三年一月二十九日これを許可しない旨の決定をしたこと、その他の理由は請求原因第一項中に記載した通りであることは当事者間に争いない事実である。

二、原告は、被告のなした右不許可の決定は、その決定の理由によると本件特許発明を誤解し、かつ、本件特許による方法はその特許出願前に既に公知のものに属していたという誤つた事実認定に基いてなされたものであるから違法であると主張するから、この点について判断する。

特許法第四十三条第五項、同法施行令第一条によよる特許権存続期間延長出願に対する許否の決定は、通商産業大臣が国の産業行政、特許行政の見地から自由な判断に基いてなすべきいわゆる自由裁量処分であり、又、右施行令第一条に規定する発明の重要であること、存続期間内に相当の利益を得ることができなかつたこと、それについて正当な事由があつたこと等の要件は、存続期間延長出願のための要件であるばかりでなく、これらの要件が備わつている場合でも必ず延長を許可しなければならないというものでなく、この要件が備わつている場合に於ても通商産業大臣は前記行政的見地から延長出願を拒否することができる裁量権を有しているものと解すべきである。

そうすると、本件不許可処分をなすに当り、仮に、原告が主張するように本件特許発明が重要であるのにかゝわらず、重要でないものと誤つて認定されたとしても、それは右の出願要件の一つに関する事実認定の誤りであり、その要件が重要なものであるということは云えるけれども右要件についての誤認のため直ちに右決定の効力を左右し、決定自体を違法ならしめるものということはできない。従つて右事実誤認のみを理由に決定を違法なりとする原告の右主張は理由がないものというべきである。本件不許可の決定の理由に重要な発明に該当しないことを挙げていることは当事者間に争ないはれども、理由に挙げた点が誤つていたからといつてそれ丈で決定が違法で取消すべきものとはいえない。その他には、被告のなした本件不許可決定が自由裁量の限界を越え、法の目的に反したものであることについて具体的な主張立証もないから、本件不許可決定の取消を求める原告の請求はその理由ないものというべきである。

よつて原告の請求を棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 石田哲一 地京武人 石井玄)

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